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“ちいおり”に暮らして -Moments at Chiiori- 

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2010年 02月 12日

物作り 〜料理〜 追記

そうだ、料理長を招いての料理教室の中で、一つだけ付け加えて記しておきたい、一幕があった。

とある、地元の住民(どっかの、じいちゃんだと思う)が質問した。

住民「器はどうやって選んだらいいんでしょうねえ?こういう皿は、こういう料理用、こういう椀は、こういうお吸い物用、なんていう、決まりもあるわけでしょう?」

料理長「いやいや、決まりなんてもんは、ないんですよ〜。」

住民「え?そうなんですか?」

料理長「ただね、料理とそれを食べる人の事を考えると、結果的に一番いい器の形に落ち着いてきたってだけの事なんですよ。つまり、お吸い物とか温かく食べてもらいたい物には器に蓋を付けたり、縁を深くしたり、逆に冷たい物は薄い皿に盛りつけたり。どんな器だとその料理は食べやすいか、よりおいしく食べられるか、楽しめるか、それだけなんですよ。そういう長い歴史の中での試行錯誤が結果として、今の決まりみたいな形に落ち着いたってだけのことなんですよ〜。」


たぶん、この料理長の発言の意図を正確に読み取った人は少ないかもしれない。(無論、僕もその一部しか理解はできてないだろうし、それだって僕の少ない経験値をもとにするしかない乏しい状況だ。)逆に、質問した本人は求めていた回答を得られなかったのかもしれない。でも、このやりとり、料理長のこの発言にこそ、現代の日本社会における文化のあり方が、象徴されているように僕なりに思えた。

その系統の「文化」やら「伝統」やらを取り上げる雑誌や、堅い書籍、メディアなんかでは、この「決まり」を説明したがる。これは、こういう器で、こういう作法で、こうしなさい。これはだめ、あれはだめ。そして、そういう知識から入る人々は、そこに重きを置く。その決まり「ルール」を守ることが、彼らが文化に触れる手段なのだ。いや、正確には、ルールを守ることで、文化に触れられていると錯覚している。まあ、それで本人が楽しんでいる範囲なら問題ないし、それでも間違いなく文化のある側面は経験している。しかし、そのルールを他に強要したりすることにはいささか納得できないこともある。まあ、話が脱線しそうなので戻そう。

要するに、今では、伝統や習慣の「形」がなぜそうなのかを学べる機会が非常に少ない。逆にそれは教科書で教えるような事ではなく、かつては当たり前に親から子へ、子から孫へ、生活の中で手取足取り、時には、けつを叩かれながら、げんこつをくらいながら教えられて来たわけだ。だからこそ、本質を失わず、生活習慣の根幹として、時代時代の変貌とともに、外皮は柔軟に発展をさせてこれた。

それが、今は逆の金縛りに掛かろうか、ともいう状況の時代かもしれない。

たしかに、先人が残したすばらしい形は恐れ多くて一新し難い。
でも、よくよく考えれば、そういう素晴らしい形は、往々にして当時は革命であり、暴挙ともいえる行為と捉えられた可能性の方が高い。そして、それが結果として優れていて、今僕らが崇拝していると、言うだけの話なんだ。

by torumuramatsu | 2010-02-12 10:18


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